和解するということ

父と娘

 このところずっとこの言葉を考え続けている。関わっていた方が亡くなったこともひとつ大きな要因になっている。その人は最後まで自分の人生を受け入れがたく感じていた。「悔しいねえ」と繰り返し言っていた。この病気が治ったら、あれもしたいこれもしたい。せめて好きなデパートのショッピングを楽しみたい。買わなくてもいい。その空気だけでも吸いたい。その場所に行くだけでもよい。
 別にそれそのものがその人の望みだったわけではない。それに象徴される自由さ、解放感が欲しかったのだ。自分の人生を受け入れがたく感じているだけに束縛されている、受け入れられ得ない思いは大きかっただろう。その胸のうちを思うとき,告知していればこの人自身の人生をもう少し納得の行く形で締めくくれたのではないだろうかと思った。誰もその人に真実を告げなかった。誰も責任を持ってその人に寄り添うことをしなかったから。家族がいないと言うことはこんなにも孤独なのかと思った。家族がいれば、せめて友人がいれば、福祉関係者と行政の職員と極少数の病院関係者だけではしっかりとこの人の人生の最後に寄り添ってその魂をなだめることは無理なことだったと思う。
 誰も何もせずに、たった一人で人生の最後の時間を過ごさせてしまった。その人はあの悔しさを抱えたまま旅立っていってしまったのだろうか。激しい痛みの中で私は「またね」としかいえなかった。叉とは死後の手続きを意味しているのだろうなと、ぼんやりと思った。もうこの人は生き続けることはないだろうな。本来あの津波を生き延びたことが奇跡だったのだからとも思った。何の慰めにもならない。


 その立場になかったから、その役割ではなかったから、むしろ私的なかかわりを禁止されていたから・・・そんなことで本来「人としてやらねばならなかったこと」をやらなかった言い訳にはならない。人は思いを残さず、自分の人生を振り返り、善きことも悪しきこともみな受け入れて「ああ生きてよかった」と満足して死ぬ事だってできる。その権利を奪ったのは、かかわったすべての人の自主規制だった。職域の規制。権限の限界。誰も一番大切な死への寄り添いの役割を担わなかった。この孤独な死を思うとき、私はその人に心から許しを乞いたいと思った。私には許されてはいなかったけれど「にもかかわらず」それは人としてあるべき姿ではないと私に突きつけられていると思うのだ。


 社会の中で分業化が進みそれぞれが自らの分担を満たしていれば混乱は起きない。この人の受けるべきターミナル・スピリチュアルケアはお金を出しさえすれば、ホスピスに入りさえすれば受けられたのだ。それを選択できない貧しさはこの人自身の自己責任だ。だからこの人がこのような亡くなり方をしたのはこの人自身の問題。かかわった人の問題と考えるのは拡大解釈だ。


 そういう言葉が現場では正しいのだろうけれど、それでも私は人生の締めくくりの準備をしてあげられなかったことを申し訳ないと思う。どうしようもなかった。それだけでくくれない思いがある。
 無力な自分の立場。無為な自分の職域。そのすべてを抱え込みながら、そこでも出来る事を追求してゆくことを思う。今かかわっている人の最後の日々を「善かった」と受け入れることが出来る関わり方があるはずだ。一回一時間の、しかも月一回とか二回の限られた訪問であっても出来ることを探す。その人自身の人生との和解を手伝うことが出来れば、たとえそのときが来ても、絶望的な孤独感は少しは和らぐだろうと思う。


 漂流する人々。無縁の人々の最後の時間に関わるとき、和解の課題抜きには関われないと思う。たとえ自己責任の結果であってもその人生を生きた自分自身を許し、和解することなしに穏やかな旅立ちは出来ないと私は思う。そしてそれは他人との和解よりもはるかに厳しく難しい。