自分の生活さえままならないのに

雑木も色づく

 どうやって老いの面倒を見ろと言うのか。涙ながらにぶつけられたその一言が身にしみて痛い。私だって同じ思いを抱えている。遠く離れて暮らす母を引き取って一緒に暮らせたらと思う。最後の日々を看取ってあげたいと思う。だけど今私にはその力がない。会いに行っても別れが辛い。辛くて辛くて胸の思いを押し込めるのが大変。それでも一緒に暮らすことが出来ない。申し訳なさで一杯になる。その思いがあるから相談者の言葉の奥にある痛みが伝わってくる。
 老いたら「我暮らし」をいかんともしがたく、誰かの世話になるしかない。それも我子にではなくそれを職業としている人に頼らざるを得ない。黙って胸の中を吐き出す人の言葉を聞いている。認知症は切ないなと思う。最後に残る感情が怒りや疑いだけであることは何としても避けたい。思いどうりになるとは思えないけれど、それでも運がよければ穏やかで柔らかな思いだけを抱えて最後の日々を生き通すことができるのかとも思う。旅立ちの日が安らかであることを願いながら、明日のわが身を思った。
 私はだれに迷惑をかけながら命を全うするのだろうか。