毎日暑い

よくみるとユキノシタが

 これが梅雨の暑さだっけと思って、うんざりしつつも、街で熱中症の人が倒れているのを救助した夏のことを思い出す。あの夏もこんな暑さがじりじりと続いていたっけな。今年のこの天候で仮設はさぞや暑いだろうし、避難所はもっと大変だろうな。今年も、来年も、その次も・・・この夏を私たちは忘れないと思う。
 毎日の生活の中の変化。苛立ちと、希望のなさと、激しい疲労感。そしてお互いの生きてきた道のいたるところに置き忘れられた未解決の感情。それらが今立ち上がって自己主張を始めている。もう黙らせて置くエネルギーがないから。私達の心は抱えきれない感情をこうしてあふれ出すしかもう自分の現実の気持ちを、コントロールできない。抱え込むにはあまりに現実が重たい。現実の重さに敗れた心の壁はさらに現実を耐え難いものにしてゆく。こうして家族の絆が断ち切られてゆく。見知らぬ相手にぶつけることが出来ないやりきれなさを、ぶつけられるのはもっとも安心できる相手だから。そして今までのマイナス感情の荷札は消えることがないから。かつてもたらされ、今も心に傷として残っている怒りの対象と暮らすには、あまりにも現実の苦痛が大きい。阪神淡路の後も沢山の家族が崩壊していった。この大震災でもすでに家族が壊れ始めている。怒りや、耐え難さを向ける相手があれば、ここまで御互いにぎすぎすしないだろうと思うのだけれど。怒りや苦しみを正当に表出し、心のガス抜きが出来るのならばこんなにも亀裂は大きくならないと思うのだが。目に見えないこの苦しみを、見過ごして物理的な大変さだけを解決することは本当の意味での支援ではないと思うのだが。被災すると言うことはこういうことなのかと、日々厳しくなってゆく心象風景を見つめている。