ソウル・フラワーユニオン

先が見えないから登り始めちゃった

 たまたまチケットが回ってきて(大将は仕事が忙しくて、姫は体調を崩して)蛙ちゃん夫妻と親分と私でライブに行った。最前列で大音響の中に身をおく。「満月の夜」は阪神淡路の支援活動の中で生まれてきた曲で震災一周年の報道番組の中で紹介されている。あの阪神の報道を背景にこの歌を聴くとなんとも言えず深い悲しみを感じた。この時期でなければ、自分が今回の震災の被災者にならなければ、この街で生きていなければ、私達の年齢の者があえてロックバンドを聴こうなどとは思わなかっただろう。どちらかと言えばクラシック畑の人間が、あの音響の中で音楽を感じ取ることは困難だと思う。しかし、其の中でも解き放たれてゆく心の痛みがあった。こみ上げてくるこの悲しみは今まで押さえつけられ、存在すら許されなかったのだ。それなのに今ここで静かな涙として零れ落ちてゆく。ロックの持つ無条件の、暴力的なまでの攻めの力を感じた。いま、この気持ちで聞くことが私にとっては心地よいことだと思った。自分もまたひとつの共鳴の器となってそこにいて、響くことだけが存在理由。そんな感じだった。これって病み付きになるかも・・何しろ親分は一晩で3キロの減量に成功した。
 ブルースの歌も歌詞に引かれた。私は言葉に牽きつけられる人間らしい。ソウルフラワーの、今回歌われた曲の歌詞をゆっくりと読み返してみようと思う。
 姫に聞かれた。楽しかったのか。楽しかったよ。親分に「また行く」と聞いたら「行ってもいいよ」と言われた。彼は、金曜日にタテタカコのライブに行っている。蛙ちゃん夫妻に感謝。お父さんの世界がもっと広がっていくといいね。
 

出演者に「ダイジョウブデスカ?」と言葉をかけられてもかまわない。そんなあなたを見ているのが私は楽しいよ。自然な感じがする。ただし年齢不詳の行動をしてマスコミを喜ばせる、某ロッカーみたいにハネテは欲しくはないけれど。私は・・・あなたが楽しければどこにでも行くつもりだから。


私が泣けたのは「荒地にて」だった。ギュダ君を思った。