津波の後

亀ヶ岡八幡宮の天まで届く階段

 体調を崩して入院しなければならなくなった人を訪問した。久しく待ちに出ていないから、かつて自分が元気なころ住んでいた街の様子を聞きたがった。「どこにお住まいでしたっけ?」と尋ねたら、人生のほとんどをすごした自分のマンションのあった場所を思い出せない。よく言ったデパートも歩いた道も思い出せない。この人の頭の中にあるのはどんな記憶なのだろうと思う。脳梗塞があって身体障害を負ったためのメンタルケアだったのだが、津波の後、思い出せなくなることが多くなった。未だ若い方なので、思い出せないことが本人にとっては大きな衝撃だった。ショックをサラリとかわして、本人が過去に語っていたエピソードと、思出だせそうな場所の様子を話してみたが、とうとう思い出すことを諦めてしまわれた。
 現実には最早過去のマンションは処分されているから、そこには思い出以外は何もないのだが、そこで暮らした人生の記憶もぼんやりと一括りに置き忘れてしまったようだ。過去を見失って現在に迷い出た感じで不安感が強い。津波のこともほとんど話すことはない。何もかもなくしてしまったと言うことだけ。具体的なことはこちらから言うと思い出だされるが、こちらから再入力しなければ記憶は戻ってこない。
 もうすぐまたつぎの場所に移られるけれど、今ここでの記憶もまた薄れていくのかもしれない。これを哀しいと思うのか、幸いと思うのかは本人にしかわからない。私はただ傍らで見守っている。一言が気になっている。「私はどこへ行くのだろう」「どこから来たのだろう」