三ヶ月たって

ケヤキのトンネル

 石巻では、仮埋葬した方の火葬のめどが立ったという。あの日から三ヶ月たってやっと19日に火葬ができそうだと言う。葬儀も出せるようになりそうだという。この悲惨さが外の方たちにわかってもらえるのだろうかと思う。中央の為政者に理解できるのだろうか。権力闘争に明け暮れる人たちに、市井の庶民の苦しみが、こんなにも悲惨な状況のままで今日まで来たことが、判っているとは思えない。所詮他人事でしかないのだろう。


 原発で捜索さえされずにDNAでしか鑑定できない御遺体の捜索に当たっている方が、深く頭を垂れ「放置せざるを得ず、お探しすることの出来ないまま、こんなお姿になってしまわれたことを、深くお詫び申し上げます」と遺体に向かって手を合わせておられた。一人福島だけではない。未だ発見されぬ方々の何と言う数の多さ。今回の震災は、私たちにこれ以上ないほどの過酷な人生を与えた。
 これが人生なのだ。この時代、この国の、この場所に行き合わせた私達の人生なのだ。ならばここからいかに次の歩みを踏み出そうか。このやりきれない思いを、それでも日は昇ると思い、今日は今日の風に吹かれようと思い、気持ちを建て直して生きていくことが、どうやったら出来るのだろうか。
三ヶ月・・・・この日々の何と凄まじく、何と重かったことか。


 普通の暮らしがどんなものか忘れてしまったと思う。見渡せば未だ地震の傷跡はいたるところにある。今日多賀城に会議で行ってきたけれど、未だに津波の後が残っている。匂いが残っている。そんな中で普通の暮らしをしようと努力している人々の姿を見る。頑張らなければ元気は出ない。だから皆必死に頑張って元気を出そうとしている。自分も被災者だということを「もっと酷い人がいるのに自分ごときには、とてもはばかられる」と言う被災者たち。これを美徳とか礼節とか美談にすることで、かえって言えなくしていることを誰も指摘しない。物言わぬ人々はいかなる救援も支援も自ら求むことなくじっと耐えている。

 子供たちも大人も痛みを抱えて、だけど表面にその感情を現さない。みんな苦しいのだと思うから、あえて言葉にはしないし、同じ体験をしていない人には理解してはもらえない。思い出すことが怖い。閉ざされた心は時間が止まったかのように、いつもあの日のまま。
 私にできることをしなければと思う。これからみんなの気持ちがもっとしんどくなってくるのは判っているから、私は自分で出来ることを静かにやっていこうと思う。繰り返し繰り返し、心のケアを手渡していこうと思う。大人が自分の心を大切に扱うことを体験すればその同じ優しさで子供たちの心を包み込んであげることが出来る。子供は自分が最も信頼して頼れる大人にケアされるのが一番よい。まず親を、親のない子は保護者を、養育者をケアしなければ。子供たちだけを集めて集中的にケアすることが先行しているが、たとえ各学校にカウンセラーを置いてもその出来ることはごく一時のことでしかない。家庭が平安な場所であれば、物は壊れても心が平安であれば、子供は立ち直っていけるし自分の力で平安でいられる。だからまず大人を、そしてその大人が触れる子供たちを庇ってあげられるように。

 自分の時間がなくなるとか、体力がないとか今は考えないことだ。それはきっと何とか守られていくだろう。私は果たすべき役割をただ精一杯に果たして行こうと思った。その場が徐々に広がっていくことが私にとっての「この地に生きている意味」なのだと思う。