三月の震災から

平和が訪れますように

 とうとう五月になって、まだまだ生活は元には戻らない。むしろ被災者間の格差が広がり、震災当時の平等間が薄れ、持てる者、持たぬ者の切ないまでの現実がある。震災を最早過去のものとして語ることのできるものと、未だ時間が止まったかのような生活をしているものとの間のやりきれない不平等感はなんともしがたい。
 それでも避難所から仮設へ、もしくは自力で住宅を見つけて新しい生活を始めた人たち。避難所の近くの百円ショップは駐車場に車があふれ路上駐車してもまだ停める場所が足りない。生活用品をそろえる人の車だ。二地区回って諦めた。定価で購入してたら義援金をいくら貰っても足りるはずもない。すべてを失った人にとって百円の価値は大きい。
 私たちは持っていたものを失う体験を初めてした。何が大切で何が無駄だったのか。震災直後はその判断は明確だった。二ヵ月半たった今、かつてのシャープさは失われつつあるようだ、不急不要のものがまた静かに生活の中に忍び込んできている。むしろそれは無駄と思えるものの懐かしさかもしれない。必要なものさえ手に入らずじっと我慢してきた長い時間を過ぎて、やっといらないもの、無駄なものが手に入るようになった。このなんと言う贅沢。これがごく普通の生活だったのだとの安心感。またあの安定した暮らしが戻ってきたのだと思う・・・・思いたい。ささやかな私たちの人生。