被災者

 このところ仲間たちの中で「私たちは、被災者ではないと言われている被災者だ」と言う言葉が多く出るようになった。家族が死ななかった。家も壊れたけれど何とか住むことが出来る。身体も整骨に通いながら何とか動いている。だから、この被災地で自分を被災者だとはいえない。だけど、身の回りに亡くなった人がいる。家を失った人がいる。ちょっと行けば未だ瓦礫の山。流されたヘドロのドロ地が続いている。いたるところに被災の風景が広がっていて、涙があふれてくる。
 この土地が、この場所が私の街だってことに変わりはない。余震は未だひっきりなしに来る。そのたびに胸がギュギュッと縮む。叫びそうになり、ぐっと声が出ないように歯を食いしばる。恐怖が一瞬戻ってくる。だけど、私は被災者だと声に出して言うことは出来ない。もっと悲惨な人がまわりには沢山いるから。テレビを見ればお金の話ばかりが声高に語られている。賠償金の話、損害の話。これも私には遠い話。
 こんなひとが沢山いる。

 そしてひっそりと自分の中に言葉を畳み込んでいる。この人たちもまた被災者だと思うし、ケアされてしかるべきだと思う。
 そうだよね、怖かったよね、そうだそうだ気持ち判るといえる関係が必要だ。この街は痛みと悲しみで満ち溢れているのだと思う。この不安に色染められた感情はこれからも完全に安全とわかる日まで続くのだから。この先何十年と言う単位でこの感情は生き続ける。PTSDは他人事ではないし、被害の大小で重度軽度が測られるものでもないのだ。
 どうしたら、この一見何事もなかった人たちの心の傷に手当てが出来るのだろうか。私の中のこのやりきれない思いを具体的にどう形にしていったらよいのか考えている。遠い土地の人から「あなたはお見舞金もらえたの」と聞かれるたびに「そんな物を貰う資格はないの」と答える。私たち多くの圧倒的多数の人々はどこからも何も貰わず、支援物資を受けることもなくただ自分の力でじっとこの事態に耐えて、元の生活を自力で何とかしようとしている。もっと被害を受けた人、そのまたもっと大きな被害を受けた人そのピラミッドの下にほとんどの市民がじっと耐えている。そして自分たちは被災者とさえ言ってはいけないのだと思って耐えている。せめて、被害はあったのだ。痛みは在るのだとつぶやける環境を、自分をいたわる場所を作りたいと思う。今はそれどころではないと言われるのは百も承知で、そう思う。普通の人の普通の気持ちに寄り添うことも大切なことなのだもの。