風は冷たいのに

藤棚

 陽射しは熱い。車の中は温室状態。外に出ると半そででは寒くて羽織る物が欲しくなる。車の中で汗だくになって、歩いて訪問先につくころにはすっかり冷えている。からだがついていかない感じだ。体調を崩す人も多くてこのところ入院が続く。このまま寝付いてしまったり、入院生活で人とのかかわりが少なくなって、人間とのかかわりが少なくなって、認知が進んできた人もいる。
 病院は施設とは違うから,治療以外の接触時間は極端に少ない。見ていると、言葉を交わすために看護士が立ち止まるなんていうゆとりは皆無だった。ただベットの上で身体の治療はなされているが、心が通い合う光景は見ることが出来なかった。まして加増と断絶してしまった高齢者は、ただそこにいるだけの存在でしかないのかもしれない。
 文句も言わず要求も出さずなされるままにそこに居るだけの人間は存在していると言えるのだろうか。改めて人としての存在の意味を思う。交流する物であり、手渡す存在である人間は、ここではただ物理的に肉体として横たわっているだけではないのか。
 物言わぬ人々の存在に存在として向き合うだけのゆとりを願うのは、あまりに忙しそうなスタッフの姿を見ていると望むべくもないなと思った。訪れる家族のいない、福祉関係者しか訪問しない入院生活は孤独だなあと思った。医療と違う関わりの人がこの人たちにあったなら、にんちも進む速度が抑えられていくのではないのだろうか。せめて生きていることを一緒に分かち合うことの出来るパーソンがここには必要だ。お見舞いが必要なんだよと思った。