施設→避難所→病院

萌える五月のみどり

ベットの上で寝ておられた。視線が合って、始めは私がわからなかったみたいだけれど、「○デス」。と言うとはっと思い出されたようでにこっと笑った。ああ・・嬉しかったよ。お子さんが複数いるのに一言も安否は尋ねられなかった。途切れてしまった糸はもう結ぶことは難しいのかもしれない。親子の間に長い時間が会って、行き違った気持ちがあって、もう振り向くことさえかなわない。共に死線を超えてこの日が在るのになあと思うのは、痛みを共にしない第三者の思いでしかない。失った小さな畑のこと、植木鉢の君子蘭のこと。何も出来なくなってしまった自分を嘆く。差し伸べられた手を握って分かれた。冷たくて弱い手だった。担当をするようになって二年半初めて自ら手を差し伸べられた。
この人は人生の中でいろんなことを越えてきたけれど、こんな経験はなかった。沢山の話をしたくても周りに人がいるから大声で話すことも出来ないし、入れ歯がないときちんと発音できないようで何を言っているのか聞き取れない。ただあの日からもう一度めぐり合ってこうしてここにいることを感謝して分かれた。次はいつどこでどんなカタチで会うことになるのか最早予測できない。一期一会を肝に銘じて大切な時間を共有する。ぼんやりと走っていって気がついたら青葉山のヘアピンカーブを走っていた。緑の中をあちこち崩落してコーンが立っていたりテープで封鎖されている道をゆるゆると走った。せっかくの緑がただ流れ去っていく。ああすべてが緑に染まっていくと思う。泣きたかったのだ私。