何も終わってはいない

 今日は用事があって荒浜の近くに買い物に行った。手前まで津波が来たという地区。百均とユニクロ、ドラッグストアが向かい合わせで隣接してDIYもある生活便利地区。駐車場に車をとめることが出来ないくらいの混みよう。それとなく会話を聞いていると,お茶碗ひとつ,お箸一膳を買い足している。携帯で仮設住宅申し込みの話をしている。この隣の地区が荒浜地区。この沢山の人は被災者たちだったのだ。お金がどんどん出ていくから毎日の生活だって引き締めていかねばならない。着る物だって無いから1人1枚でも大変なこと。みんな懸命に生きようとしている。当座必要な物を精一杯買う。生活していかねばならない。若い家族が多かった。たくましさを感じた。
 私も明日からまた仕事の範囲が広がる。その前にきちんともう一度私の担当区を見て置きたいと思った。震災直後は遺体の捜索で立ち入り禁止になっている地区もあった。走れなかった。
 走れる幅ぎりぎりに路肩が崩れている場所もある。背丈よりはるかに高く積み上げられた家財道具と流れ着いた漂流物。そして車・・・車の残骸。海岸の防風林の松の木々・・涙があふれる。ここが私とあの人たちの関わりの場所だった。私が死んでいても不思議ではなかった。この瓦礫の中で私は死んでいたかもしれない。そう思った。
 胸がきりきりと痛む。生と死はほんのかすかな出来事のすれ違い。生きるもの死ぬもの、それぞれに何の選びも無かった。それは日々の生活の中での出来事。日常の中でおきた出来事。このことの中に私たちの人生が組み込まれていた。時間が止まった。
 私たちの中で、震災は終わってはいない。
 白鳥や鴨にえさをやって写真も沢山とって楽しかった大沼公園は見る影もない。水が引かないこの地域や、沼の中は未だ遺体の捜索が行なわれていないから、水をポンプで排出する作業が行われていた。
 沢山の魚や蟹の死骸が干からびて、象徴的だった。ひっくり返ったトレーラーの荷台。傍に泥まみれの領収書つづり。
 少しはなれたところにアルバムの千切れた一ページ。大沼公園造成の記録と書かれていた。
津波が奪った物。沢山の人の生活。思い。


ゴルフバックが一個乾いてひび割れたヘドロの上に転がっていた。