GSの支部事務所がある

鎮魂の花咲く。一本杉教会

多賀城に行ってみた。多賀城は日本史に出てくる古の柵で有名。何でこんな町が津波にと思ったら、何と海からまっすぐではないか。少し広くなった場所には整然と津波で壊れた車が並べられている。震災直後に支部事務所の片付けに行った人たちが「道の両側に車が積み重なってもうすさまじい」といっていた言葉が一ヶ月たってもよく理解できた。
 このなんともいえないやりきれなさ。私たちは今とんでもない事態に巻きこまれているのだと思った。
 戦争を知らない世代である私たちは災害を繰り返し体験して生きてきた。集団移住の人たちの嘆きを見ていて、思ったことがある。転勤族であるがゆえにふるさとや近隣の人々に対する強い帰属意識は無い。行かねばならないのならどこへだってひょいと行くことはできる。そうやって生きてきたのだから。土地に生きる、ふるさとに生きる、人々と結ばれた絆を引き裂かれる苦しさ、みんな子供時代に見失ってしまった。親もまた転勤族だったから。仮設が出来るまで、原発が落ち着くまで移転する人たちの嘆きを見ていて、ふっと転勤暮らしの自分たちを思った。親の代から三代に渡っての転勤族。大切な物を持たないで生きねばならなかったのかも知れぬ。