私が担当している道を走ってみた

魚が打ち上げられて死んでいた

 若林区荒浜地区。二百数十名の死者を出した地区。今日その担当の道筋を走ってみた。ところどころ通行禁止になっていて道の両側は堆積物がうず高く積み上げられ、かろうじて一車線のみの道幅。この道は背中に海を背負い田んぼの中の道をひたすらに走るしかない。平野の中の一本道。どこにも逃げ場所になる高い場所が無い。ひたすらに前へ前へ走ったのだろうか。私は金曜日午後1時に施設に向かい、帰りは2時45分から3時40分の間にこの道を走る。地震が一週間遅かったら私はこの瓦礫の下にいた。確実に死んでいたと思う。
 その道を今日走って、心の中に「私は生きてよかったのか」という思いが強く湧いた。沢山の人が亡くなった。生きたかった人たちが無残に死んでいった。その無念さを思うとき、なぜ私が生きてここにあるのかを思う。申し訳無さに身がすくみ、私ではなくなぜあなたが亡くなったのかと問う。辛い・・・・・私は充分生きてきた。この先、生きていかずともよかったのにと思った。若い命が痛ましくてならない。