今日も綺麗な青い空

晴れてグラウンド乾く

 風邪薬を一瓶飲み終わった。朝が辛い。頭の重さで目が覚めるのは、いい物ではないな。胃痛で目覚めることはなくなりつつある。その分、気持ちが拡散できるようになったのだろうと思う。気持ちが緊張の網から解け始めるとあちこち今まで押さえ込んできた痛みが出てくる。これも順当なこと。
 こうやって少し前に、もう少し前にと進めるようになる。この進み方は、各自によって異なる。今一番気をつけなければならないのは、隣の人がどう回復しようと、相方がどう回復しようと、親がどう回復しようと、私の回復は私のものだと思うこと。いっせいに足並みをそろえてなんてことは無い。相手が無気力に見えても、それは相手の回復のスピードだと理解すること。自分のことは自分にしかどうにも出来ない。その自分さえよくわからない存在なのだ。心のことは心に聴くしかない。
 家が壊れて片づけが始まればその肉体的な労働が心の回復を支えてくれることもある。何か守らなければならないときは、たとえば家族の為に、食べ物を捜し歩くとか、灯油や水を求め歩くとか、はっきりとした目的があればそこに達成感が生まれるから、それだけで一日生きていく力になる。一番怖いのは、何となく日常っぽいけれど、未だ元通りに生活が回っていない状況。まさに今。気持ちも生活も宙ぶらりん。
 被災者であっても、ボランティア活動に走りたくなる気持ちは、この閉塞感から、何か結果の見える場所に自分を置きたいと思うからだ。身体の不調はそんなときに現実に自分を引き戻してくれる。ストレス反応は、身体が外からの刺激に反応して起きる身体からのメッセージ。
 決して悪いものではない。これがあるからこれ以上の負荷を避けることができるのだから。自分の声を受け入れることが大事。焦らないこと。自分を無力だと責めないこと。まず小さな目標を決めて、それを達成する。それからまた次の目標へ進む。今日はこの一角を綺麗にしよう。出来たら次の一角。そうやって自分に出来ることを広げていく。時間も場所も細切れにして繋いで行くことが大切。
 蟻のように、自分の手に収まる物を一つ、またひとつとたゆまず運び続けること。自分を追い込まないためにはそれが一番よい。私は頭の中に小さな蟻の行列をイメージする。私はそのなかの一匹。気持ちが楽になる。