クロネコ

 友人が、秋田から夕べの6時に出した荷物が、朝の9時に届いた。中の野菜は、まるで今冷蔵庫から出したかのように元気だった。宅急便てすごいなあと驚く。持ってきたお兄さんは階段を登ってきたのに、息も切らしていない。「大変だったでしょうね。ありがとう」というとにっこりとした。笑顔っていいなあ。今までも笑顔っていいなあと思っていたけれど、本当に気持ちを明るくする。今日の頂き物は荷物はもちろんのこと、あのお兄さんの笑顔もスペシャルだったな。ほろりとする。
 優しさが何も無いときに、人間らしい物に触れると、生きるっていいなあと思う。今回何と沢山の人たちに心配され、直接的に援助されてきたのかを思う。こんなときに、今までの人生の姿があぶりだされるように感じる。
 神様が働かれていると感じられるのは、人間としての自分がまったく無力なときだ。神に希望を置く事ができるとき、人間を通して、神の手に触れるとき、それに気付くことは恵み。自分の信仰など問題ではない。ただ一方的に与えられ、無条件に与えられる。この悲惨な現実の中で、過酷な生活の中に神は人を通して働かれている。信じることなど求めてはいない。ただそこにある。それでいい。