白い世界

水がやがて氷になる

 眺めているだけならこんなに美しい物はないと思う。それなのに、私はこのところの寒さでまたホームレスの死亡があるのではないかと、気にかかる。そして思う。人は気にしさえしなければどこかで困っている人のことは忘れることが出来る。だからふと思い出すことが出来る。
 それが出来るから、悲惨な現場を担当できるのだと思う。本人はその現実から逃れることは出来ないが、支援する者はそこから退くことが出来、忘れる時間を持てる。だからこそいつも気力を保てるのだと思う。しかし、当事者は退く場所を持たない。現実逃避は唯一アルコール・薬物・狂気・・・自分の中に異次元を持つことでしか、生き延びるための空気を吸えない。現実が生み出した必要な悲惨さ。
 この悲惨さに寄り添うほど人間は強くはない。だからOFFであることが許される。逃れるの場所がなければ他者の支援は出来ない。マザーテレサはその時間を祈りと共同体の生活に持っていた。その時間だけは、どんな悲しい現実も奪い去ることは出来なかった。すべからく家庭というものは、本来その作用を持っていたはずであった。人はそれを期待してカップルとなる。しかし、家庭そのものが逃れの場所でも休息の場所でもなくなった時、人はさらにそこからまた出てどこかへ漂っていかねばならない。人から人に渡り歩く人もいる。漂流の出発点は自分自身の心の中にある。人間は悲しい生き者だと思う。
 ホームレスの多くの出発点もまた同じである。我と彼との間に大きな差異はない。