年明けから

まだ雪の雲だけど陽射しは暖かい

身辺何となく気ぜわしかったのに、半月過ぎてやっと日常が戻ってきた。お互いの気遣いも、ちょっと息切れ。こちらが感じる不快感は相手もまた別のこととして感じているのだろう。日常の中にあるささやかな痛みが、研磨剤のように互いの人間的な棘を、研磨してくれるのかもしれない。日々これ修行なり。道場や宗道にこもることが、修行である場合はもちろんあるが、日常の生活の中での鍛錬は、ささやかであるがゆえに、逃げ場のない根本からの変革を、求めてくる。突きつけられた現実から、逃げるすべもなく私たちは身を削らざるを得ない。
 そうやって生きることそのものが自分をより深く大きく成長させてゆくのだろう。その意識さえあれば。日々の痛みのなかに、自分の進むべき道を見つけることが出来る人の歩みは、結果を見れば巨人のごとき歩幅だろう。私も日常の中でありのままの自分の歩みを確認してゆくような修行を選びたい。このところの心の風景を見つめつつしみじみとそう思った。生きてゆくことは甘くはないな。逃げる場所の無い日々の暮らしの中で隠しようもない自分に向き合い続ける。