今日は天皇誕生日

テレビ塔の向こうに陽が落ちる

 国民の1人としてお祝いを。というより、国民の1人としてこの方は幸せなのだろうかとふと思った。下々にはわからない公人としての人生。自分であって自分でなく、しかし最後は自分で決断していかねばならない生き方は過酷だ。ただの人である権利を生まれながらに奪われたこの人の人権を思う。人間として暮らしの苦労はご存知ないだろうけれど、自由のない人生はそれに比べても重いものだろうな。天皇は神にあらず。しかし人にもあらずではないのだろうか・・・痛ましい気持ちでニュースを見ていた。
 人間は、等しく平等で幸せに生きる権利を持つ。この言葉がいろいろな立場でいろいろな解釈をされ、例外条項が設けられ、人が人であることがとても難しい時代に私たちは生きている。
 ワーキングプアは人間らしい生活と呼べるのか。ホームレスは?さまざまな依存に苦しむ人たちは?貧困の中に生きていかねばならない多くの人たちは?私たちの人生は何者によっても償いなど出来ないたった一度しかない時間の流れ。そのことを思うと切なくも哀しくなる。2000年前のユダヤの民もまたやりきれない無常観の中に生きていた。救い主がこられるという約束を信じて。クリスマスの深夜私たちは今、自分たちの置かれている現実の日々を見つめその中から呼びかけ歌う。
♪闇に住む民は 光を見た・・・
 救い主がこられても、この日常の厳しさは変わらない。しかし、ただ絶望の中に時間を過ごすことと、そこに希望を、自らの命の意味を見出しつつ生きるのでは、痛み方が異なる。人生の厳しさの中に光を見る生き方をしてゆけたなら。何時かこの厳しさが自分の時代で終わることを願いながら、後から歩む人々の旅の困難を自分の手で取り除いてゆけたならと願う。