出来れば

 自分の冬支度をしようと思ったのに、何やかやでまた仕事の時間になってしまった。仕事が終わったらまだ店は開いているのだろうか。
 講話は生活の中から与えられる。今日のケース会議も、昨日の病院訪問も一つ一つが人間の生き方のありのままを体験させてくれた。ここにある現実は美しい言葉よりも説得力がある。いつもここに神は居られるのかと思うつらい一瞬がある。なんと人間は痛みに満ちた存在かと思うことがある。そして「にもかかわらず」生きることはすばらしいと思う瞬間がある。
 私は生きていく。きっとこの命の終わりに気がつかぬまま、ただ懸命に生きていく。通り過ぎたらすでに寿命が終わっていたというような生き方をしてみたいものだ。ある高僧が、歩みつつ右の足を出し、左の足を出しつつ事切れていたというように。
 愚鈍な私だから、綺麗な生き方はできないだろう。淡々と、しかし心を一杯揺らしながら生きて生きたいものだ。

 さてカウンセリングに行ってきます。