夏は

ビルの上にも真夏の雲と空

 夏休みの朝はラジオ体操で始まった。カードに紐をつけて首からぶら下げて、普段顔をあわせることもない学年の子供たちと並んで体操をする。ほかの子供たちは幼いころからの繋がりがあるが、わたしは転校したてで誰の顔も知らない。居場所がなかった。
 そのあと高学年の人にはんこをおしてもらった。これも夏休みの提出物だから無くすと大変。旅行で欠席になるときは旅先で体操をして、判子を押してもらった。今思えば名前の確認なんてできることでもないのに、何であんなに必死になってこだわったのだろう。わたしはいつもそれが不思議だった。周りの子供たちの厳しい基準に、とても抵抗を感じたけれど、転校生として入れてもらった子ども会でわたしは何もいえなかった。町内でひとり、付属に行っていた子は子供会に入っていなかったからこの窮屈な子ども会には縛られなくて自由だった。わたしも中学は付属を受験し市立中学には進まなかった。やっと子ども会の縛りから自由になったとき、心のそこからホッとした。
 自分の子供を育てるとき、転勤による転校を繰り返すので、私学も付属も受験できなかった。子供たちは子供会を渡り歩き、親もまた子供会の役員を遣り続けた。今度は積極的に関わることで子供の居場所を確保しなければならなかったからだ。夏は他人と自分の感覚の違いを確認する季節でもあった。自分が当然と思うことと他者の当然がぶつかり合うときの鈍い痛みを思い出す。
 わたしの子供たちも、周りとあわせることをいつしか身につけ自分を扉の中に隠した。今、思えばわたしたち夫婦は一人一人の子供たちのこの繊細な心の世界を守ることに全力投球していたようだ。夏休みは親になってからのわたしの戦いの季節でもあった。
 それでも、わたしは夏が好きだ。カナカナの声を聞きながら静かに暮れてゆく夏の日がたまらなく好きだ。失ったもの、もう二度と帰ってくることのない記憶の中に愛しい物が沢山あるから。