手紙で遺族ケアをしている

この明るさと暗さが夏らしい

 やっと時間が取れたので、手紙を書いた。この手紙を通じてのお互いの心の交換はゆっくりではあるが確実にあゆみが見える。文字を書くということは思いのほか豊かで深みのある行為であると思う。
 メールではおそらくこの結果は出ないだろう。相手に届けるまでの手元にある時間、郵便ポストに入れて相手が受け取るであろう時間、受け取って読まれた手紙が熟成する時間、そして相手が返事を書いてまた投函するまでの時間。ゆっくりと途切れることなく誰かの心に結ばれている時間の豊かさがこうして人間を変えてゆく。慰めてゆくのだと思う。
 じっくりと時間をかけて手紙を書くとき、わたしもまた相手の生きている時間に組み込まれ、そこで相手の時間とわたしの時間が交わり、新たなものに変えられてゆく。手紙はよいものだなと思うし、なだめの作用は大きいものだなと思う。もしこれがメールだったら同じような働きがあっただろうか?再度考えてみる。時間の短縮によって見失ってしまったものがあると思う。