生きていていいのですか

 そう本気で聞かれたら、いいですよ と本気でこたえる。誰かに聞かずにはいられないほど自分に自信が無くなった人は、根拠はどうであれ生きていてもいいのだという保障が欲しい。保障されてやっと自分の居場所を作ることができる。悲しいけれど、いいですよという答えをもらえる人は少ない。むしろ必死のその問いかけに「お前なんか死んでしまえ」「死ねばいいのに」と返されることが多い。たわいも無い、根拠の無い感情的な言葉に生きる場所をなくして、死ぬしかないと思い込んでしまう。あまりの短絡さに唖然としたが、そこに至るまでの長い長い希望の無い日々をこの人は生きてきたのだと思うと、それがばかげたことだとはいえなくなる。
 人間は自分の感情の捌け口を他人に求めてはいけない。誰かをいけにえにして自分を安定させてはいけない。傷つけてはいけない。ののしってはいけない。存在を否定してはいけない。そうされて生きていることがどんなに苦しいことか・・・そのことさえ思い至らない。いや、分かっているからこそ最も効果的な方法で追い詰めてゆくのかもしれない。いずれにしても心が壊れるほどのいじめられ体験を抱えて、「生きていていいのですか」と聞かねば生きることが怖くてしかたがない人がいるのだ。
 この人をここまで追い込んできた沢山の人を思う。その人が何時か自分のした残酷な仕打ちに気がつくことがありますようにと願う。二度と誰かに対して同じ事をしませんようにと祈る。
 いじめという言葉は、やっている行為の残酷さに比べてなんと軽々しい言葉なのだろうか。