センター後

三日月が見えた

 自己採点をして、改めて志望校の絞込みをする。これが思いのほかしんどい作業になった。今までこの展開は予想していなかった。甘いね・・・だけどこれからが「ほんっとう」の受験かも。姫は涙をぽろぽろこぼして、さて、次へ。行こう。旅は続くよ。
 自分の道を自分で見つけてゆくのは何歳であっても不安とためらいがある。見えない未来への扉を手探りで探すようなものだ。だけれど、信じて欲しいことがある。出口は必ずある。そして道は続いてゆく。今たとえ自分の持っている体験と知識では扉の存在を認知できなくても、その可能性を信じて求めて欲しい。諦めないで。
 たとえ自分では自覚していなくても、それぞれの命はこの世になすべきことを背負って生まれてきた。その使命を果たしきるまでは命は旅を続ける。たとえ本人が知らなくても命はその役割を果たしてゆく。
 自分が何をなすべきか分からなくなったとき、しゃがんで自分の体を抱きしめてみよう「私は今生きている」そのことの確認。胸の中の「ほのを」が消えてしまったように感じていても、深く深く心の奥底に命は燃え続けている。あなたを生かしているものはあなた自身気がつかないけれど、心が知っている「あなた固有の生きる理由」だ。それはほかの誰にも肩代わりできないもの。あなたでなければ。
 人は人生を歩む道筋で無心に歩きながら、ある時「自分の旅の意味」に気がつく。そして初めて今までの道筋のすべてを納得する。理解する。すべてが合理的に無駄なく、ただひたすらに「この事のために」備えられていたことを。そしてしみじみと思う。生きるっておもしろい。
 何のために生きているのか分からなくなったときこそ、もう少し生きてみようと思って欲しい。今、私は生きている意味も目的も分からなくなったから、だからもう少し生きてみよう。この命の道を振り返ってみることのできる場所まで歩いてみよう。そう思って欲しいと願う。
 生きてゆくことは、霧の中を歩くようなもの。見はるかすこともできなくて、ただ歩くしかなくても、だからこそ鍛えられ、研ぎ澄まされてゆくものもある。
 世界のすべてが自分を否定していると感じたとき、何もなくなったときこそ、自分を頼りにすることを知る。自分を信じることはこんなときでなければ体験できない。自分の底力を知る。ほかの誰にも寄りすがることのできないときこそ、まことに頼るべきものが自分の中にあったことを知る。その体験を持っている人は真の強さを持つことができる。それ以外では手に入れることとのできないもの。
 さあ、歩こう。
さあ、行こう。
大丈夫。
飛べるよ。
風は吹き渡る。