日々の記録さえかけなかった

日本海の日没

くたびれ果てた。体よりも心がなえた。私にしては珍しいが、同僚からの思いがけない横槍が堪えた。出る釘は打たれるというが、徹底的に打たれた。陰口というやつで、自分では一切それはしないからやられるとびっくりする。びっくりして、心理屋だからそうやりたかった気持ちがよくわかるので、納得はするのだが感情のほうがなかなか波が収まらない。こういうとき私のクライエントは私に電話をかけてくる。そして思いのたけをぶちまける。しかし、私はそれをしない。いったん感情の嵐をぶちまけてしまうと、その後のゆり戻しが苦しいから。ひたすら耐える。文字化してセルフカウンセリングをするか、それも無理なときは夢に託す。夢の中で心の痛みは形を変えてさまざまなメッセージをだす。ささやかな買い物をしてなだめることもある。今回は編み物をした。大きな体半分を包むケープを二枚編んだ。ミスマープルのように。もくもくと網目を追って行くうちに心の嵐が収まってくる。
 いわれたことが自分のことだったらまだ反論もできたが、「あの人の子供はね」といわれたことが、心を折った。改めて自分がどれほど子供たち一人一人を心に抱いて生きているのかを思った。自分は母性の弱い人間だと思っていたからなおさらのこと心の奥深く子供たちへの思いが傷つけられたのだろう。いった人たちは気にもしないだろうが、私が自分の痛みを受け入れ何とかまた外に向かって発信できるまでになるにはほぼ二ヶ月が必要だった。この間きちんと仕事はこなしてきたからわれながらすごいなと思った。職場でも誰も私の心の嵐には気がついてはいない。仕事というものはすごいものだと改めて思った。
 今回の出来事で学んだことは心が折れるときどういう反応が顕著に出るかということが体験できたこと。これは大きかった。今までなぜこんな反応が出るのか、なぜこの一歩が踏み出せないのかと思ってみていたことが納得できたのは収穫だった。ありがたかった。人の心の中のことは体験してみなければ言葉だけではわからないことがある。