海の傍の施設訪問

 今日はもう一件、今月から海の傍の施設に連日通うことになった方を訪問する。施設長同席で話を進める。どこまで理解しておられるのか確認が取れない。自宅で話を聞くときとはまるで違う表情の〇さんがいる。施設内ではマスク着用なのだがマスクを外し、私であることを確認してもらう。ほっと笑みがこぼれた。家に残してきた猫のことが気になっているらしいのだが、最早自分の意志で家に戻ることができない。夕方家に戻り、早朝また施設に通ってくる。
 介護とは何だろうか。安全を確保し、生活を保障し、その人の身体機能を低下させない。そこではその人らしい暮らし方や、好みの生き方は最早片隅に押しやられてしまう。「まるで拉致して監禁しているようなんだけれど、それでも火事を出されたり、近所から苦情が来たりするよりはましだから」と申し訳なさそうにケアマネは言う。
 何が今一番大事かを考える。そして私の胸はきりきりと痛む。ここに至るまでこの人は何度取り囲まれて、糾弾され、叱られてきたことだろう。その中で幸いなことに「責めない人」として私は記憶されているらしい。すがるような目で私を見る。
 もう少しがんばろうね。まだ通ってくることが許されているうちは何を置いても私はここへ通ってこよう。そう思った。職員に促されて挨拶もできずにトイレに去っていった後姿が切なかった。
 老いるということを、また考える。