またひとり施設入所

花にら

 気持ちの優しい方だ。一度も嫌な表情を見たことがなかった。穏やかで歌が大好きで、若いころはギターを抱えて流しをやっていたこともあるらしい。いろいろな土地を流れて暮らしていたけれど流れ流れてこの街にたどり着いた。それから年をとって、人と出会ったり別れたり、生活もできなくなっていった。いつの間にか、たった一人で病気を抱えて今の境遇になった。もう、そう長くはないと分かって私が関わり始めた。
 何とか心を通わせたくて、二人で歌うために歌った事のない演歌を、カラオケ練習し、びっくりさせたこともあった。唄は北国の春だった。歌いながら目を細めて何を思い出しておられたのだろう。そしていつの間にか歌を歌うことも、歩くこともできなくなって、とうとう最後の家に引っ越すことが決まった。終の棲家。
 本人は今はまだ知らないが、すでに手続きが始まっている。いのちが遠くない将来に終わりを迎えようとしている。その時が穏やかでありますように、その人らしい締めくくりでありますように。孤独でありませんように。死が優しい訪れでありますように。
 この一年、この日が来ることを知りながら、あたかも何時までも終らない歌を歌っているような気持ちで寄り添ってきた。こちらからは掛ける事のない携帯電話は、通話料金ゼロのまま遂に掛かってくることはなかった。遠い土地で兄弟がまだ生きておられるが交流はない。いつかこのベルがなって、話すこともあるだろうと期待してどんなに説得しても携帯は解約しなかった。
 歌を歌うことも、美味しいお酒を飲むことも、一緒に歩くこともかなわない。別れはいつも、こんな形でいきなり向こうからやってくる。私と別れても、いのちはもう少し燃えているだろう。どうかその日々が幸いでありますように。穏やかでありますように。彼らしくおだやかでありますように。関わりの中で沢山の優しさと、いたわりを頂いた。
 最後のお茶を二人で飲んだ。彼がむせた。背中をさすっていたら、彼の目からほろほろと涙がこぼれている。この人は全てをもう知っているのだと分かった。車椅子を押してサービスルームに戻った。もう来ないであろう次の面会日を予約し、別れを告げた。またね。また会いましょう。