3年関わっていた方が

壁のわずかな凹凸が光る

 とうとうひとり暮らしが出来なくなった。健康上の事情で。今まで幾度もの入退院を繰り返し、その間隔が短くなりとうとう二週間を切ってしまった。もう一人で暮らすことは無理である。恐らく退院も無理かもしれない。こんな日が来ることを皆知っていた。知っていたけれどそれがいつかは誰も知らなかった。不思議なものでそれはもう少し遠い先の話だと、今日のことではないと思っていた。何かを見ないようにして、そこだけぼんやりとフォーカスして笑顔を保っていたのかもしれない。
 死ぬ時はふるさとの近くで死にたい。せめて県境の施設で死にたい。その願いもどうなるのか分からない。老いてゆくことは、時々自分の思いもかけなかった境遇に生きなければならないこと。それを黙って呑まねばならないことだ。だから人は恐れる。自分の意思で決めたままに生きて、思う場所で死んで行けたらどんなに良いか。それが出来るのはごくごく一部の人だけだ。
 子供がいても、子供が親の気持ちを生かしてくれるとは限らない。寧ろ子ども自身の現在の生活を優先するだろう。子供の人生は子供のものだ。親が入り込む隙間はない。抱え込むゆとりがないといった方が良いのかもしれない。死んでゆく者よりも、生きてゆく者のほうが優先される。当たり前のことなのに、何かとても悲しい気持ちになる。親は子供を育てる時、何もかも捨てて、自分を最後に回して育ててきた。いつもまず子供を考えてきた。子供はそのことを過去のものとして切り捨てる。改めて家族とは何とむごい集団だろうと思うことがある。愛情とは何だろうかと思う。見捨てる。見つつ、なお、捨て去る心。子育てって何だったのだろうか。親の老後を介護する安全保障のために子育てする人は今の時代は、少数かもしれない。保障といわなくても安心していられる支えが家族だったと思う。それがいつの間にか失われてしまった。老人の虐待の第一加害者は息子。

 人はかなわない夢を抱く。その夢が死に場所だからなおのこと哀しい。