話を聞いていて

整列!

 思わず、そこから先に行こうよ。といいたくなる時がある。何年も同じ感情の嵐に落ち込む人を、思わず引きずり上げたくなってしまう。そこが我慢のしどころなのだと分かっていても、自分も息が吸えなくなったような気持ちを味わう。共にあること、寄り添うこと。言葉ではさらりと言えるが、その場にいてなお巻き込まれず冷静な視点を保ち揺るがないことは力が要る。
 夢を見た。顔なじみの修道女達と車でどこかに行こうとしている。会議らしい。どうやら私は主催者側のスタッフで彼女達に主旨説明をしなければならないらしい。あわただしく資料を渡しながら説明しているのだけれど、言葉が空回りしてちっとも届かない。気持ちがどんどん落ちてゆく。私は何をしているのだろうか。なんでこんなに言葉が通じないのだろうか。いつの間にか英語で説明しているが単語が出てこない。絶望的な気持ちで車の側に立っている。
 なんでこんな夢を見たのだろうか。ここしばらくの出来事を考えてみる。新しくクライエントを抱えた事も、原因の一つかもしれない。研修が終って認定を受けたクラスの後期訓練を受け持つことも一つあるかもしれない。何よりもこのところ全く言葉が伝わらず、心のこもった会話が出来ない人との関係が重いのかもしれない。周り中が無言の人垣で真ん中で立ち尽くしているにもかかわらず、その集団をどこかへ引率して、さらに移動先で仕事をすることになっているのは、全くこれからの今年度後半の私の立場そのものかもしれない。何よりも、最も心が通じるはずの仲間が一番言葉が伝わらない存在だということも大きい意味がある。
 疲れているのかもしれない。時々こらえきれない悲しみがあふれ出すことがある。一人で黙って飲み込む。孤独を感じる。