午後ケースあり

 先日調子の悪かった方は心臓の発作で入院してしまわれた。人のいるところで発作が起こったのは幸いだった。今日は別の方の訪問。海のそばの施設で暮らしておられる。まだ生きる力が残っているので何かその方らしく過ごせる心の支えを見つけられたらと願う。本人が生きることを諦めずに、残された時間をいとおしむ気持ちがどうしたら湧いてくるのか。関わるもののあり方を問われる。
 18日はターシャの亡くなった日。あの日からもう一年が過ぎたのかと思う。庭の花は相変わらず美しく咲いているだろう。訪れる人もいるだろう。犬や猫や山羊たちも元気だろう。ターシャが残してくれたものは「生きることを楽しむこと。年齢に縛られず楽しむ勇気」だった。世の中に縛られず、人の思惑から自由であるためにはどれほど忍耐と勇気が必要だったのかと思う。私も私なりに生きたと思える生き方をしていきたい。Kちゃんの相方が「パグママに一番気質が似ているのは麦さんだ」といったそうな。人間の基礎ができる時期を共に暮らしたことのない母と似ているといわれたことは私にとって嬉しいことだった。自分と家族を繋ぐものが時空を超えてわが身のうちにあるという不思議な気持ち。普通の人はこんな気持ちを知らないだろうな。頭で分かっていることを身体で感じ取り事は素敵だ。そしてまた、自分の出自を知ることの大切さを思う。養子縁組特例法の制定の時この権利を子供から奪うことに疑問を感じたのは、私のこんな気持ちから。そのうち時間をかけてこの事に関してまとめてみようと思う。自分が何処から来たのか分かっていることは、アイデンティティの確立と、自己尊厳をもつためにはとても大切なことだから。もっと身近なこととしては身体の特性や遺伝データを知らないことは恐ろしいものだよ。


保守