長生き

 会議の合間に介護の話が出た。メンバーのうちお二人は自宅で一人はご兄弟が実家でそれぞれ介護をなさっている。その困難さは息を呑むほどだった。介護保険法が今年の四月に改正され、今まで使えていたサービスが受けられなくなったり、支払う費用が上がったりして枠はあっても負担金が増えて使えないという人も多いと聞く。家族がつぶれそうになってどちらが先に倒れるかという状況だとも聞く。一体今回の改正で誰が潤っているのだろうか。現場の家族が身を粉にしてヘルパーの後を引き継がなければ一人の高齢者を介護することが出来ないこの国。その方たちが介護している方たちは聞けば100歳を超えたり90を超えたご老人だという。もう十分生きたのだからよいでしょうに・・・とは口が裂けてもいえない。実の子供だからなおのこと親の死を願うことは苦しい。でも、私の友人の何人かは介護をして生涯を送り、お年寄りが亡くなったのを見送った直後死んで逝った。くず折れるという表現がぴったりの死に方だった。擦り切れてぼろぼろになってそれでも自分の辛さや病状はひたかくしにしていた。もうこれ以上看病しなければならない人が増えたら家庭は壊れるという気持ちだったろう。そうやってせめてもあっさり死んでゆくことが家族への愛情表現であった彼女達を思うとき、私は悲しくてやりきれなくなる。
 「何という人生」経済的には恵まれてはいても一体何処に彼女たちの尊厳が認められていた時間があったのか。何をしていても時間を盗むように駆け足で家に戻っていった姿、独りになるとひたすらに休みたいといすにぐったりしていた姿、それでも友人と話すと気が晴れるからとボランテイアに出てきていた姿。この国は何だかとても歪んでいる・・・
 色々聞いた。若年性アルツハイマーの夫婦の話。壊れてゆく配偶者を看取りながら心を病んでゆく人の話・・・いつ自分達がそうなってもおかしくない。短時間で死んでゆける病気の方がはるかに幸せだという人まで出る・・・そして誰も否定は出来ない。悲しみのツボはふちまで満ちている・・・

 長生きすることが本当に歓びであると思える・・・そんな時代がこの国に来るのだろうか。