脳梗塞で倒れて

聖水盤を蹲に見立ててある

 一時視力さえなくしていた方が視力を回復して、片麻痺は残るものの何とか歩いて買い物に行くくらいは出来るようになった。お天気がよければデイサービスがあろうと、これからヘルパーが来る時間であろうと、私が訪問予定であっても、ふらりとどこかに出かけてしまう。おまけに片麻痺があるからほんの少しの段差でも転んでしまう。片手で支えられないから盛大に顔を打ってしまう。
 この間も救急車のお世話になったが、たいした事もなくてすぐ帰されてしまった。周りの関係者は大騒ぎをした。心配で心配で私も縮みあがった。ケース会議で色々な意見が出たけれど、私はふと思った。歩けなかった人が歩けるようになって、はっきりしなくてもものが見えるようになって、耳が聞こえるようになって、今ならまだ自分の足で行きたいと思えば歩いて行ける。この素晴らしいことを取り上げる権利は誰にもないではないか。確かに周りは振り回されて青くなるけれど、何のかのとの言っても「余計な仕事を増やされてはかなわない」というのが本音だろう。お金にならない業務は増やされては大変なのだ。あと少し月日が経ったらこの人はまた歩けなくなって、認知も進んで最早自由に行きたいところに行くことも出来なくなる。それはほんのもう少し先のことなのかもしれないのだ。
 振り回されたっていいじゃないか。心配させられたっていいじゃないか。いま少し好きなことさせてあげたい・・私は本当にに心からそう思った。そして私のような考え方をする人間は福祉事業の敵であると思われても仕方がないとも思う。公の福祉関係者からさえも「例えしてあげたらよいと分かっていても必要以上の仕事はするな。その後任者が苦労するから」といわれた。これでは人間らしい介護なんて、福祉事業なんて出来なくて当たり前だなあ・・・・