人はそれぞれ

 何故人は相手の気持ちを受け入れられないのだろうかと思うことがある。分かっているつもりのことも実は自分が収まりやすいように心に入れ込んでいる。決して相手の思いのままに収めることは出来ないようだ。にもかかわらず、こんなに思っているのにとか、分かっていますよと開き直ってしまう。そういうことは相手を受け入れ理解していますというよりも【分かったからもういいじゃないか。言わなくても】というメッセージを伝えてしまう可能性がある。話す人はそこで【何を、どのように、分かっているというのか】と、自分ではどうにも判断できない相手の心の中のことに振り回されてしまう。そして黙り込む。相手の話を【デモね】と打ち消すことは出来ないから黙り込むしかなくなる。すれ違ってゆく心の姿を眼で見ることが出来たらどんな風景が見えてくるのだろうか。慰めるとか、理解するとか、受け止めるとかそんな言葉はどんな風景なのだろうか。風に吹かれながら、たこは風の道を示していると思った。細い一本の糸がたわみながら流れてゆく姿。それは私の悲しみに形を与え私の心にふれる。それぞれの意図が結んでいる悲しみは空に凧として解き放たれてゆく。兄の悲しみ、姉の悲しみ、妹の悲しみ、父の悲しみ、母の悲しみ、結婚して家族となって共にそこに立っている人の優しい心・・・
 何も言わなくても、いや言わないからこそお互いに寄り添って同じ空の下にいられたのかもしれない。