遠方の神父様から

 心が熱くなるお便りと冊子を送っていただいた。司祭となって25年のお祝いに、今まで書かれたものをまとめたもので、お手紙が添えられていた。母の日にミサをささげてくださるという。何よりの事でただただ感謝する。あの子の死を体験してもうすぐ5年になるがやっと人の情けを心からありがたいことだと受けられるようになった。少しだけ傷が丈夫になって血を吹かなくなってきたのかもしれない。いや、痛みに耐えられるようになったのかもしれないな。塞がるとは思えないから。心というものはこんなにも傷を受けると壊れるものなのだな。この傷があるから、私はクライエントの痛みを身体で感じることができるようになったのだろう。同じ苦しみは分からなくても、自分の痛みを感じていると、相手もまた痛みをこらえておられるのだと思い至ることが出来る。どこまで行っても人は他者の心を「わかる」ことなど出来ないのだ。ただ察して、感じようとすることが出来る。そうする事で「分からないけれど、私はあなたの痛みに寄り添いたい」と思うことができますといえるようになるかもしれない。
 お互い様になれるのだ。なんと優しい言葉だろう。あなたもですか・・・私もですよ。お互いですね。