ワイエスと人々

 昨日ワイエスの「クリステイーナの世界」を見ていて思った。草原をいざって家に向かってゆくクリステイーナが強い意志と自分の尊厳をかけてあそこに生きていたことを思う。子供の頃この絵を初めて見た時、とっさにこの女性は草原に打ち倒されたのかと思った。助けを求めているのかと思った。しかし昨日初めて画家の視線を感じた。姉と弟の二人っきりの世界に寄り添って描き続けた画家の立ち位置を考える。人間の生涯とは何だろうかとも考える。姉は明らかに身体に障害を持っているが、この弟も心理学的に言えば人間関係を築くことに困難を抱えていたのではないだろうかと思う。身体の障害と心の生き難さを共に抱えながら生きる孤独な二人に、寄り添いかつ巻き込まれず淡々と見続けた一人の人生の同行者としての画家の立ち位置を考える。
 そして描かれることで彼らはワイエスと対等の場所を確立していたのだろうな。与えるものと与えられるものが干渉しあわず独自性を保ちながらその場所で共に生きるということはワイエスのように十年単位で一つのモデルに関わっていく画家にとっては得がたい対象であったと思う。
 人生そのものを記録していった絵の連なりはワイエスという画家の仕事だけではなく、ここに確かに生きていたオルソン姉弟、その他の描かれた人々の人生の時間そのもののように感じられた。絵を見にいったのではなく、、彼らの人生と出会い向き合い語り合ったように感じる。絵ではなく、人と出会った。よき出会いであったと思う。