文字がかけない

 今日のクライエント。いつも文字を書くのに時間が掛かる方だが、最早自分の名前を書けなくなっている。いつの間にここまで病状が進んでしまったのか。二年前に担当していた時とは余りの変わりように、重複で病気を抱えての老化の大変さを思う。何から手をつけたらよいのか。何が出来て何が出来ないのか。それは身体的症状なのか、精神的なものなのか。一つ一つほぐしてゆく必要がある。とりあえず今日は心をほぐすことに殆どの時間を費やした。二年間私が他の方の担当をしていた間にいろいろなことがあったと聞いたが、ここまで生活能力が落ちてしまうと最早取り戻すという次元ではない。代わりに何を以って補ってゆくか。本人の残された力で失ったものを補ってゆかねば、何も出来ない人になってしまう。さくら吹雪を窓から見ながら、このままこのいのちが終ってゆくのかと思うと無念さを感じる。介護の限界があるにしても、その人の人間としての能力を失わないやり方はあるはずだ。ヘルパーに出来ること、ワーカーに出来ること、訪問看護師に出来ること、私のような人権擁護の立場の人間に出来ること。成人後見人制度だけが救いの神だとは思えない。なのに行き着く先はあたかもそれで終了という感じがして、「なんだか違うだろう」と思う。この人の人生をこの人なりの生き方で締めくくることが一番大切なんだと思う。雪のようにさくらの花びらが舞い散っている中を歩きながら、人生の終り方を考えている。