親分が

夕方の空を飛んでいく雲

 自由人になった。どんな気持ちなのだろうか。私が聞いても「今は引越しで忙しくて分からないよ」という。自分のなかに吹く風の音を聞き分けてみたいのだろう。私がそうしたように心の示すままに自分らしいと思われることを自由にやってみたらよい。人生はそうでもしなければ自分らしく生き通せるものではない。家族のために生き続け、死んでいったjijiやbabaの生き方はそれなりに尊いが、私たちは私たちらしい締めくくりをしたい。
 これからどんな日々が私たちの人生を形にしていくのだろうか。ワクワクする。「遊びやせんと生まれけん」なのだ。私たちが生きてきた人生は周りの人たちから見ればハードなものだった。自分達でも良く生き延びてきたなあと思う。その中にあって私たちは生きることを心から善きものと思えたし、幸いなるかなと思って生きてくることが出来た。これからの時間がより善きものであることを願う。
 私たちの「遊ぶ」は自分達が自分達の自由を生かして味わうことが出来た時に感じるものだから、どこかにいったり、お金で買えたりするものではない。誰かが与えてくれるものではなく自分達が見出すものだから、自分達が作り出さなければ存在しない。言い換えれば自分次第でそれは無限に存在する。これからの時間が祝福されますように。