老いた友人がなくなった

春の色も見えてきた

 古い友人の訃報が届いた。今日の15時過ぎに亡くなったそうな。共通の友人が電話で知らせてくれた。いても経ってもいられずお宅に急いだ。お留守だった。考えてみれば亡くなってすぐに家族が家に戻ってくるはずもない。気が動転していた。まだ若い夫婦だった頃初めてきたこの町の教会でマリッジ・エンカウンターの話をしたことがあった。「あら、私たちも桐生のフランシスコ会に行きましたよ」と声をかけてくださった。その時からあたかも親戚のようなこだわりのないお付き合いをしてくださった。突然の引越しでピアノの運搬ができなかったとき「預かってあげるよ」と預かってくださったこともあった。蛙ちゃんと師匠が二人で一軒家を借りて暮らしたときもご近所で何かと様子を見てくれたりもした。穏やかで細やかな心遣いをしてくださるご夫婦だった。教会の典礼部の中で負担が大きいのと哀しみに出会うことが避けられない葬儀や墓地の委員としてご主人は長い間役員を引き受けてくださっていた。
 ギュダ君が亡くなったときも。飛んできて段取りや手順のことなど教会関係のことの全てを取り仕切ってくださった。お骨を一緒に拾ってくださっている時まるで孫のように共に悲しんでくださったことを忘れることができない。思いもかけない死は命のはかなさをしみじみと感じさせる。