人は一人で生きることはできない

てすりに凝ってみました。

 どんなに孤独であるように見えていても、人は誰かとのかかわりを持って生きている。障害を持っているか、健常(他の言葉で表せないものだろうか)であるかに関わらず行政だったり、福祉だったり誰かが生活の様子を知っていて援助したり補佐したりしてくれる。それでもこのネットワークからこぼれてゆく人がいる。他人とのかかわりを作れない人だ。孤独死が時々報じられるがその多くは人とのかかわりを持つことが不得手な人たちであるようだ。死後七年経って発見された方や三年経って発見された方など数え上げてゆくと他者のかかわりの影が見えない。どの時点からこんなにも隔絶されて暮らすようになったのだろうか。家賃を自動引き落としにしていて貯金が底を尽き引き落とせなくなって公団の職員が督促に行って鍵を開け初めて白骨化したご遺体を発見する。
 人の生き方死に方としては悲しいと思う。どうしたら孤独死を防げるのか。それはまず本人が最低限、他人と言葉を交わすことができることが必要だそうな。物理的にではなく正確には他人と心を通わせることができる必要がある。挨拶ができることが最低限必要なことだそうな。子供の時から挨拶に関してはうるさく言われてきたが、これは生き延びるために最低限必要なことなのだ。人間は自分が何かしなくても一人で生きて行けると思っているが、人とのかかわりの絆が切れてしまうとそれを再び結び合わすことはとても難しい。
 今日私が訪問した2ケースともにそういった意味では他人とのかかわりを持てないケースである。一つはDVによって子供時代から言葉を奪われてきたケース。何を言っても相手にされず否定され子供時代は親、教師によって虐待と無視、結婚してからは夫によって精神的に隷属させられてきたケース。この方が失った会話能力はもはや取り戻すことはできないと周りは言うけれど、時間をかけて繰り返し些細なことを話しているとふと心が揺れることがある。お互いにゆれる時間触れ合う時間を増やしてゆくことでこの人も他人との絆を結ぶことができるのではないだろうか。
 もう一つのケースは子供時代にいじめにあい誰にもかばってもらえずその後の色々な出来事の中で精神的な問題を抱えてしまったケース。現在は薬の力を借りながら今自分の周りにいる人間達は自分をいじめたりはしないのだとやっと安心し始めている。それでも時々怒りの発作が起こる。溜まってる怒りはこうやって時々泡のように浮かび上がってはこの人を苦しめ。回りとの関係を壊してゆく。
 人間は社会的な生き物だからこそ、壊れてしまった心の結び目を結びなおす努力を社会もまたしてゆかなければならないと私は思う。