今日は月一回の遺族のケアの日

街並み

 今年初めてのケアの日なのでテイータイムにお抹茶を頂く。作法もその人なりの自然なもので誰もが自分らしい作法で頂く。しみじみと味わう。茶道をやっておられる方には顰蹙を買うだろうが、お茶を頂く。誰かに立ててもらっていただく。そのことを通して人は人のぬくもりを味わうことができる。作法wp知らない人もやいとうに恥ずかしいも意を知らないで自分の一番気に入った方法で飲む。そうするといつか飲むと言う行為が頂くと言う形になってゆく。自然に生まれてくる形がある。それでよいのだと思う。中にはドリップコーヒーを時間をかけて低煮に入れて召し上がる方もいる。それはそれでよいとまた思う。皆違ってみんなよいと言うことを身体で受け入れる体験を積み重ねてゆくことの大切さを思う。
 人が人として生きてゆくことはこんなにも柔らかで暖かいものなのだと伝えられたなら嬉しい。日とりぽっ地ではない。誰かがここにいて触れ合う気持ちが体験できる。自分の痛みを批判することなく受け止めてくれる。それだけでいいのだといってくれる。そんな時間を持つことがその人にとって大切なものを取り戻すきっかけを作ってくれる。それだけの為に自分の時間を差し出してうる。それもまたよしである。