海のそばの町に

mugisan2008-11-28

 仕事で出かけた。遠く空と海が重なっている風景の中にその施設がある。たまに訪問するには素晴らしいが、ここに暮らす方にとっては、その寂しさは身にしみるという。こんな風景の中で生きるためには自分自身が大きなエネルギーを持っていなければ、風景の中に吸い込まれていってしまうのかもしれない。英米文学の中で描写されるヒースの荒地の風景。風の音。遠く響く海鳴り。空に舞うカラスの群れ。それに似たにおいを感じた。いのちの芽生えではなく、この世を去っていく、命が消えてゆく風景。
 街が人にもたらすエネルギーはもしかしたら自分を保つために必要なものかもしれないなと思った。少しだけおしゃべりを聞いて、少しだけ慰め、土砂降りの雨の中を戻ってきた。
 わたしが運べるものは何か。日常生活を最早持たないその人に普通の生活を取り戻させてあげたいが、かえってそれは苦痛かもしれない。今ここで最良のものは何なのかを静かに考えている。空も海も果てしなく続き、いつの日にか自分の存在そのものが見えなくなっていく。記憶を分かち合って残すことも最早無駄だと思う。手渡すべき相手はそこにはいない。人間はいるが職員は日常を維持するための影のようなもので個々に握り締める暖かい手は持たない。握っていては仕事が先に進まないからだ。
 この次この方と会うのは一ヵ月後だ。何か心を込めて生きる喜びのかけらを運んで行きたいと願う。