寒さも少しは緩んで

 今日はいい夫婦の日だそうな。良い夫婦ってナンだろうかと思う。お互いに生きていればぶつかり合うことも、相容れないことも、許しがたく思うこともある。その全てを飲み込んでなお何もないように生きていくのが良い夫婦ではあるまい。
 お互いに人間として成長し変化しながらもなお、相手の中に新しい良さを見出すことの出来る感性を失わない関係性が良い夫婦ではないかと思う。最早相手の中に何も見出せなくなった時それは自分自身が摩滅し鈍感になっているためかもしれないのだ。変えうるのは自分自身のみ。相手を変えようとしてもそれは相手の自由を奪うことになるだけだ。
 瀬戸内寂聴展を仙台文学館でやっているが、彼女の生きてきた姿は、最早人間を突き抜けて仏にまで向かってゆかねば収まりのつかない激しいものであったのだろう。
 わが身を振り返ってみて、私はここで何をしているのだろうかと思うことがある。子供を育て、悲しむ人に寄り添い、そして私自身は誰によって悲しみを埋めてていったらよいのだろうか。改めて親分との長い道のりを振り返り、心を静めて念ずる。生きてこそ。埋もれ火のように私の中で悲しみはなくならず仄かに光り続けている。お互いに、恐らくお互いに同じような思いを重ねているのだろう。であった日から48年の日が二人の間にある。夫婦になって37年。なお私は彼の中の見知らぬ人の気配にたじろぐ。
 夫婦とは不思議な関係だと思う。