寒さが来る

 もうあちこちで炬燵を出している話を聞く。我が家はぎりぎりまで暖房を出さない。身体がなれてくるから寒さにはかなり強いと思う。今年は早く寒くなるのかな。やっとベストを重ね着して凌ぐ。訪問先のお宅の暮らしぶりは厳しい。自分だけのうのうと暮らしては申し訳ないような気分にもなる。そこで思う。それは間違いだよと。自分の生活の中にゆとりを持っていかなければ相手の生活の重さに巻き込まれていく。気持ちが沈んでしまって戻ってこれなくなったら切り替えられない。だから自分らしく生きる場所を確保しておかなければいい関わり方はできなくなる。それは高みから手を差し伸べる関わり方とは違う。
 おでんの季節になると私はあの天井の隙間から空の見えるおうちでカップおでんを抱えておられたあの方を思う。私が踏ん張れたのは、私の生活の中のゆとりの部分と、あの方の「おいしいね」という心からの喜びが純粋に呼応したからだろう。そこには上も下も無い。無理が無い。私は私の歓びをあの方はあの方の歓びをお互いに味わうことが出来た。
 あの方との出会いは私に大きなものを与えてくれた。お互い様の関係があの場所にはあった。人間としての触れ合いの場所だった。心からお礼を言いたい。あの方は私の教師であった。