一枚の額

 今日の写真は古くからクリスチャンの家庭の食堂に掲げられている言葉。自由学園の工芸研究所で製作している。結婚した時とてもほしかったけれど私達に手の出る価格ではなかった。いつかきっとと思いながら、自分で訳文を「朴の木」の板に彫って自宅の壁に掲げていた。バザーでも注文を受けて製作したこともあった。木彫をいつの日にか又やりたいと材料は取ってあるけれど、今回思い切って買ってきた。私達の家庭にこの言葉が無かったら、きっと私達は今こうして一つの食卓を囲むことはなかっただろう。


 キリストは  この家の主
 見えざる賓客 
 全ての会話の 沈黙せし聴き手


この言葉が無かったら、私はこの家を飛び出してどこか地の果てに行ってしまっただろう。ここに主が折られて全てをご存知ならば私のこの痛みは無に帰すことは無い。きっと受け止めてくださるだろう。
 これから始まる、もっと大変であろうこれからの人生の為に私はこの言葉を買った。