これは悲しい

 以前私の担当していた方で、おでんを初めて食べて大喜びして、ヘルパーに毎日コンビニからおでんを買ってきてもらい至福のときを味わっておられた方がいた。あの方がとうとう認知の淵を越えてしまった。妄想が激しく、現在は某施設に緊急ステイしている。その妄想が、「家の中に夫の死体がある」「家の中で人が殺されている」「家の中に死骸が三つ並んでいる」・・・・などなどこれは本人の中の死への恐怖が形を変えて表れてきたものなのだが、関わっている人たちにすればいかに説得しようにも説得できない。このままほかの人には見えない死体におびえながら彼女は自らが死者の列に並ぶまでおびえ続けるのだろうか。
 彼女の人生には数え上げたらきりがないほどの理不尽な死があった。そのときは押し殺してきた死への怒りや恐怖が、今歯止めを失った彼女の心の中で姿を現している。そのつどにきちんと手当てをしケアをして心の傷を治してきたら、ここまでも「死の恐怖」が彼女の心を独占することはなかっただろうにと思う。その時々に痛みや苦しみを適切な形で吐き出さなければ心はいつしか大きな闇を抱えてしまう。我慢してばかりではいけない。痛みから心を開放し、自分を慰め穏やかに静まるときを繰り返し持つことが大切なのだ。生活の厳しさゆえに、その時間もゆとりも彼女に与えられることはなかった。
 あの日、おでんのカップを両手に抱いて「アア・・・美味しいねえ」といって私に笑いかけたあの微笑が胸に切ない。かえっておいでよ。もう一度暖かなおでんを食べようよ。私に色んな話をしてくれたじゃないの。かえっておいでよ。この世界に帰っておいでよ。死体が転がっている悪意に満ちたその世界からこちら側に戻ってきてよ。

 涙が止まらない・・・