寝て過ごす

にわか雨の予兆

 GSの報告書を書いて寝た。日中雨が降って寒い。長袖のパーカーを着てもまだ寒い。寝込めないので今日は家の中で過ごす。風邪薬飲んでまだ足りなくて痛み止めを飲んで胃のくすりを追加して。明日は年一回の健康診断の日なので朝から検査が終わるまで絶食。検査開始が13時なので朝抜きで一仕事して、昼抜きで夕方面接カウンセリングが入っている。仕方がないから検査が終わったらおにぎりかな。
 年に何回か起きていることが出来ないくらいくたびれる。これの風邪症状もそうなのかと思うが一体どうしたのだろうか。このところあまりに忙しすぎたからかもしれないな。自分で調整できるスケジュールではないし・・・。その中でも体を休めようと思った。
 仕事となると、どんな無理でも出来てしまうから無理をする。困ったものだ。それでも、おとといから食事の仕度は親分がやってくれている。私がいないからそうしないと食べられないし、今日は私が立ち仕事は出来ないので致し方ないことだ。
 仕事をやめたらこの人はこうやって主夫やるのだろうか。と、ふと思い、なんとなくげげげと思った。なんでだろう。頭の中では時間があるものがやれることをやればよいとはっきり思っていながら。それは多分、彼がそのことを楽しんではいないと、見ている私が感じているからだと思う。本人に聞けば『そんなことはない』というに決まっているが、私にはそうみえて仕方がない。



以下、私のおなかの中の思い。



 確かに彼も働いているから無理からぬことなのだが、私は家にいさえすれば今までお産で退院してきたその日から家事をやってきたではないかと思う。どこかで「やってやっている」というにおいがするのだろうか。

 どうせ「やらねばならない」のならば、周りに不快感を感じさせないやり方があるだろうに。きっと彼はいやいややっているのではないのだろうけれど、そう感じるのは私の側の受け止め方の問題かもしれないけれど、限りなく『アアやりきれない』と思う。
 きっと私の頭の中にはjijiの姿が焼きついているからだろう。babaが病弱だったから何もかもせっせと自分でやっていた。文句を言うことも、いちいちこちらから頼んでやってもらうこともなかった。今思えばあれは特別だったのだろうなあ。