やってみよう

 今年の後半期の目標はもう皆さん耳にたこ、聞き飽きた、またかよの
「要らないとお決めなさい」であります。
決定。
 おかしいけれど、たまには自分にも達成感を持たせなければね。努力目標。これで貯金がいくら貯まっていくでしょうか。節約ってレベルではすまなくなるかもしれないのだ今後。ますます物価は上がってゆくだろうし、収入はそれに見合って増えてゆかず、何とか自分の残りの人生を豊かにすることを考えてゆこうとすれば賢く生きなければならない。
 無駄を省き維持管理の経費と労力を軽減し今をしっかりと捕まえて焦点を当てて生きる。つまり修道者の日常生活そのものではないか。簡素な中でこそ人は自己探求を続けることが出来るというものじゃ。ほとんどおばば状態だが、気まぐれに、(整形外科の待ち時間つぶしに)西の魔女を読み返して、私たちの生き方ととても近いことを再確認する。ターシャの生きたように自らの手の作り出すものの完成度をあげ、そこで満足できるものにまですること。何も他人の作ったものを買ってこなくても、自分で作ることで生活が満たされれば人間の物欲などそんなに無限にあるわけではないから、十分豊かに暮らせる。手が動くうちにしか出来ないことだから。時間勝負。目も見えなければならんし。体が覚えてしまえばこの二つは失われても現状維持は出来るが。体に叩き込むことが必定。
 それから大事なことは彼女がしたように自分が一番生きやすいと感じる「私の生きる時代」を自分で設定する。すでに過ぎていった時代であっても、自分の完成にあう時代を生きようと思えばむしろあわない現代に自分を押し込めるより、はるかに自分らしく落ち着いて生きていられる。自分を世の中の作った時代感覚におくのではなく、自分の中に置く生き方は私を楽にする。半世紀後ろにずれて生きていってもいいではないか。ひとがなんといおうと「これが私の人生」と言い切れる生き方をしたい。
 流行に流される消費時代ではなく、私は簡素さを最も心情とした生き方をしたい。今から25年ほど前盛んに人々の口に上り、心を揺さぶった言葉「シンプル イズ ベスト」身の丈にあった、もてるものだけで生きる生き方。余剰を作らない生き方。
 子育て時代は、子供の成長に合わせていろいろなものが必要だったり、成長に合わせての予備としてストックしなければならなかったが、子供が一人になった今、もはやストックするものの量はそんなに大きくはない。生活を縮小する時期に入ったのだ。おお、わくわくする。
 自分らしく生きてみよう。大地に深く根を下ろして風に向かってすっくと立っ太まま息絶える終わり方をしてみたいものだ。木が立ち枯れて、やがて倒れ、朽ち果てて、大地の滋養となってゆくような人生。いいなあ・・・現実には命にしがみつき、拒み、もがくかもしれないけれども。