午前中かかって

 ぐったりしてしまった。大急ぎで家に戻り、そばをゆでてジョナサンとざるそばを頂く。薬味をアレコレ。盛岡のわんこそばを思い出す。一緒に二人で食事をするのは何年ぶりだろうか。ジョナサンには一杯寂しい思いをさせた。某県の電話相談の事業立ち上げ準備の時期と彼の幼児期が重なっているために、彼は私において歩かれた記憶が一杯あるはずだ。お留守番をさせたことが今更のように痛みとして胸に戻ってくる。ギュダ君が生まれて二ヶ月から私と親分は準備事務局を始めた。止むに止まれぬ状況だったのだけれど一人の母親として思えば痛みばかりの思い出ではある。この子達の寂しさの上にあのセンターは生まれた。もはやわたしたちが立ち上げたことさえ誰も知らないが、それでよいのだけれど、そのときの子供達が払った犠牲は、親である私たちの人生を通して子供達に償ってゆかねばならないと思う。
 午後ケース一件。独り暮らし。昔はぶりが良かったころのことが忘れられず、身内からお金を無心されるとつい用立ててしまう。勿論お金は帰ってこない。気がつけば家も土地も貯金も何もかもなくしてしまった。それでも怪しい人たちが出入りする。たった一杯のご飯をもった手をねじり上げて奪ってゆく奴がいるのだ。この世の中には現実に鬼が住んでいると私は思う。