点子ちゃんとアントン

 親分が懐かしがってDVDを掛けている。ケストナーの描く子供達は、なんてけなげで、必死で生きているのだろうか。私はケストナーと子供時代に出会った。今の私の人生の何パーセントかはケストナーの影響下にある。NPOの広報委員長をやっていたとき広報紙にケストナーのこの言葉を引用したことがある「小さい人の涙が、大人の涙よりも軽いと言うことはない」この言葉は成長に伴い、私の中で拡大され小さい人の範疇は弱い立場の人、貧しい人、省みられない人、差別される立場の人と大きく広がっていった。私は自分をいつもこの人たちの中において考え、発言したいと思う。私もまた程度の差こそあれ小さいものだからだ。たしかに社会の中で私は決して底辺にいるわけではない。しかし悠々と水面を蹴って走る船に乗っているわけでもない。毎日の食事に事欠かず、寒さをしのぐ衣類を持ち眠る場所の心配をしなくてもすむ。たまには出かけることも美味しいものを食べることも出来る。しかし有り余っているわけではない。私もまた同じ羽の色の雀なのだ。
 必要なものさえも持っていない人の生活を目の当たりにすると、憲法で保障された人間的な文化生活とは何を指すのかと思う。人間の尊厳とは何を指すのかと思う。税金で生かされているのだから世間に申し訳ないと思わなければ、と言う言葉をその人たちから聞くとき、無性に悲しくなる。一生懸命に生きてきて、たとえ今足りないものがあったからといって、何を恥じることがあろうか。持たないのはあなたが悪いわけではない。持てなかったのは罪ではない。日々のかかわりの中で言葉にすることは出来ないけれど心からそう思う。