家族の時間

家族にとってわたしの果たすべきことを大切に果たして行きたい。親分の怪我入院の時「悔いることがあるか」と自らに問うた。精一杯生きてきてあれしか出来なかったにしろ、今新たに伴に生きるチャンスを頂いたのだから、あの日々に見えてきたものを大切にしたい。わたしと一緒に生きてきたことを彼が喜びと出来るようなかかわりを持ちたい。春は色んな事を思いだす。そしてそれはわたしが転勤族の子供だった故の別れの記憶でもある。人は必ず何時か分かれてゆかねばならないものだと幼い頃に知った。そして今もその同じ路線を生きている。子供達も。だからこそ家族で居られる時間を大切にいとしく思うのかもしれない。家族もまた何時か分かれてゆかねばならない宿命を持っているのだ。