盛岡

行くたびに盛岡は変わっていくように感じます。大きなショッピングモールが出来ていたり道筋の商店街がシャッター通りになっていたり、老夫婦二人でやっていた美味しいお店がなくなっていたり、中央のチェーンストアが幅を利かせていたり。あの町並みの古風な頑固さがひっそりと消えつつあるようで胸がきゅんとしました。町も人も生きているのだからしょうがないことなのだと思います。ノスタルジーではご飯は食べてゆくことは出来ないのだと。今回ドンボスコのシュトーレンをいただきました。素朴な味わいでいよいよ待降節と言う気分になりました。待降節は来週の日曜日から始まります。教会の一年の始まりです。今年一年私達は試練を潜り抜けて鍛えられてきました。少したくましくなった。そして自分の限界も知り、少し考え深くなったでしょう。折角与えられたこの家族の日々をいとしく思いいつくしんで生きたいと思いました。
親分は今夜仕事で戻れません。すでに平常の相変わらずの勤務です。神様の守りの中にあると分かっているのですが、薬だけは確認して持たせました。私は今日も難ケース二件持っています.では行ってきます。